平安喜遊集「偸盗」/山本周五郎
- 作者: 山本周五郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1983/03
- メディア: 単行本
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from n on subject "why we do so hard to live as good human beings, but there also exist people that do bad things??? " haha ;D
: 以下は時間のあるときにどうぞ
山本周五郎作 平安喜遊集「偸盗」より抜粋
ある盗人(鬼鮫)の独り言
「わたくしは話を進める前に、いちおうあなた方の固定観念を解いておきたい」
「あなたがたは、たぶん、この鬼鮫が大ぬすびとであることで、わたくしを道徳的に非難されていると思う、が、
それはまったくの誤解である、とずばり申し上げる、なぜかなら、この世は盗む者があり盗まれる者があって、
初めて平衡が保たれているからであります、尤も、この両者が等数であってはならない、原則として盗む者、
すなわち賢くて血のめぐりの早い者の数が少なくなければならない、たとえばです、京の町を二分してこちらが
盗む者、こちらが盗まれる者と考えて下さい、これはもう両者の関係がはっきりするから、平衡を保つわけにはいきません、
たちまち騒動になることは明白です、要約して申せば、盗まれる者の数は絶対に多数でなければならない、それは簡単に証明できることですよ、
ええ、つまり数が多ければです、その数の多いことに隠れて、誰が現実に盗まれているか、ということがわからなくなる、
慥に少数の盗むやつらはいる、が、自分が盗まれているという現実感はわき起こらないわけです」
「世間にはこれを不公平だと云う者があります」と彼はまた続けた
「云わせておきましょう、そういう人間は働く気にもならず、また盗む勇気もなく、口だけでああだこうだと云う怠け者
にすぎないのです、このあいだも小一条の大臣がすばらしい牛車を作られました、金銀宝珠をちりばめた両盾の牛車でして、
たしか宋の国から技官を呼んで作らせたのでしょう、大臣としては、このくらいの牛車を持たなければ、国際的な観点からして
日本国の体面にかかわる、と申されたそうです、―――そのため、大臣の領地である能登、越前、越後、信濃、甲斐など
諸国の農民、漁夫、工匠、人夫人足の末まで、貢のために膏血を絞りあげられた結果、大半の者が土地を捨てて流民に
なったといわれる、それについて搾取であるとか、苛斂誅求だなどと不穏なことを言う者もあるが、なにこれもいわせて
おけばいい、かれらもまた盗む勇気のない多数の愚者のいくにんかにすぎず、同時に働くことの嫌いな連中ですから」
「わたくしが盗む側にまわったのは」と彼は左手の掌を右手の拳で打ちながら云った、「果てしなき労働、凶作、疫癘(えきれい)、
洪水、地震、などという貧困と災厄によるのでなく、盗む者と盗まれる者とによってこの世の平衡が保たれている、という現実を
認識したからであります、こういう認識がうかぶということは、すなわち、わたくしが盗まれる愚者の群れでなく、盗む勇気と
知恵のある者、一と口に申せば貴族的少数者に属する、という証拠だと信じたからあります、――――貴族的少数者、わたくしは
べつにかれらを尊敬するつもりはない、世の中の釣り合いを保つということで彼らの側についたのだが、かれらはそれを理解しないばかりか、
逆にわたくしを偸盗と読んで追捕しようとするのです、は、かれらがですよ、盗む者であるところのかれらが、同じ側に立つところの
このわたくしをです、―――おそらく、あなた方には信じられないでしょう、だが、不幸なことにこれが現実なのであります」